市長の答弁義務
昨日(4月23日)、市議会主催の議会報告会において、市民から、議会における市長の答弁義務について質問があった。「議会において、議員が市長の答弁を求めているにもかかわらず、市長が自分で答弁せず、職員に答弁させるというようなことは、問題ではないか。」(趣旨)
この質問に対しては、副議長が以下のように回答した。「市長が自分に答弁を求められたとしても、職員に答弁させるということは、今の市長に限らず、以前からあること。自分で答弁しない理由は、すべての質問に市長が答えられるものでもないし、市長本人に聞いてみないとわからないが、まだ就任されて間もないので、ご自分ではなかなか答弁がまとめられない、ということもあるのではないか。議員からの質問は、(行政側としては)誰が答弁してもよいことになっており、誰が答弁しても同じであるとご理解いただきたい。」(概略)
副議長は、宝塚市議会議員の平均的な認識をていねいに回答されたと思う。しかし、この回答には不十分な点があると思う。市の行政には、誰が市長であろうと当然遂行されるべきものが多く、そういう部分についての質問なら、確かに誰が答えても同じである。しかし、行政には市長の政治的判断によって遂行される部分がある。それこそが議会で重点的に審議されるべき事項であり、そこに市長のどのような政治的判断があったか、それが正しいかどうかを議論することこそ、議会と議員の最も重要な仕事である。そんな質問に対する市長の答弁は、当然、次の市長選挙における市民の重要な判断材料にもなる。そのような答弁は、当然市長自身がするべき、というよりも市長自身でなければできないのではないか。まして、山崎市長は、「あなたにオープン」ということをスローガンとして当選された市長である。自分の政治姿勢や政治判断を、答弁によって積極的にオープンにする義務があるのではないか。
地方自治法には、市長の議会への出席義務が定められているだけで(121条)、答弁義務などは定められていない。従って市長が議会でどのように答弁するかは、その議会における慣例や、市長自信の能力、個性によるところが大きいと思われる。宝塚市議会では、残念ながら市長が議場で議員の質問に答えることはほとんどない、というのが伝統のようになっている。これは、市長が答弁しないというよりも、議員の側で市長に答弁を求めることがほとんどなかったらである。普通の市議会なら市長批判の急先鋒に立つはずの立憲、社民、共産の各党が市長支持に回っていること、公明党は市長と政策協定を結んでいること、そして肝心の自民党の勢いが弱く、今ひとつ批判精神にかけていることに原因があると思う。それだけならまだいいが、自分の希望する政策が実現しないとき、市長ではなく職員を問い詰め、鬱憤を晴らすかのような議員が多いのは嘆かわしいことである。(自戒の念も込めて)