国葬と弔旗 宝塚市議会から

 先週の市議会では、故安倍元総理の国葬に対する市の対応について、保革両陣営から活発な質問があった。国葬当日(9月27日)、兵庫県庁や神戸市役所では、弔意を示す半旗が掲揚されたのに、宝塚市役所では半旗は掲揚されなかった。この理由については副市長から「国からの要請がなかったので弔旗は掲揚しなかった」と答弁された。ところが宝塚市役所は、その前にあった安倍総理の私的な葬儀の日(7月12日)には、弔旗を掲揚している。その理由については、「痛ましい事件で亡くなった故人に弔意を表すべきと考え、周辺市の対応も聞いて判断した」と答弁された。

 いずれの答弁も、それだけを聞けばまっとうな答弁に聞こえる。しかし、これはよく考えてみればおかしい。市役所という公的存在が、故人の私的な葬儀に弔旗を掲揚し、国葬という国家的な葬儀に弔旗を掲揚しなかったというのである。この逆が正しいのではないか。確かに国葬については国民の間で激しい賛否両論があった。国からも「弔意の強制はしない」という声明が出された。実は私自身も国葬には反対である。歴代総理の中で、安倍元総理に抜群の功績があったとは思えない。しかし、国葬とは本来全ての国民が弔意を示すために行うものである。そして国が国葬を行うと決めた以上、国からの要請の有無にかかわらず市役所という公的存在は弔意を示すべきではないか。

 国葬に対する市の対応は、市長の信念の無さと幹部職員の姑息さの現れであったと思う。一応革新系の市長としては、自分の支持者の手前もあり、弔旗など掲揚したくなかったに違いない。それでも私的葬儀の日に弔旗を掲揚したのは、周辺市の対応を見た上での日和見の結果である。一方、国葬の日に弔旗を掲揚しなかったのは、国の「弔意の強制はしない」という声明をお墨付きとして、弔旗を掲揚しなくても保守系議員などの批判をかわすことができると判断したのであろう。一連の判断には、市長、副市長、幹部職員が鳩首協議をしたようである。

 ちなみに市長支持派のK産党議員から「国葬に対して市長はどう考えるか」との質問があり、市長の答弁に注目したが、総務部長がすかさず挙手して「答弁は差し控えたい」という答弁をした。それならそうと市長自身が答弁すればよいのではないか。確かにどう答弁するかはむつかしい質問であり、どう答弁しても火の粉がふりかかる恐れはあるだろう。しかし、市の弔旗に関する一連の対応には市長がかかわっているはずであり、質問は、その根底の考え方を尋ねるものである。議員としては質問したいのが当たり前であり、市長には答える義務があるだろう。きれいな洋服を着て職員の書いた原稿を読むだけ・・・山崎市長にはそんな市長から一刻も早くヘンシンしていただきたいと思っている。 

国葬当日 兵庫県庁の半旗