教育委員会について

 今月の宝塚市議会では、今月末で教育委員会の委員1名が任期満了となるため、その後任を選ぶ議案を審議している。法律上、教育委員会の委員は、市長が議会の同意を得て任命することになっており、I氏の任命をすることに同意を求めるとの議案が提出されているのである。一昨日は総務常任委員会で審議されたのであるが、私は反対の立場で意見を述べた。私自身はI氏のことを全然知らないし、I氏が教育委員として相応しい人物かどうかを問題にするつもりはない。ただ、そのような重要なことを判断するための判断材料や判断基準が不十分で、責任を持って判断できないと思うから反対するのである。

 議案の資料としては一応、I氏のプロフィールとI氏自身のコメントを要約した簡単な資料(A4サイズ表裏)が配付された。しかし、教育委員会といえば、市内の教育全般について指揮監督権を有する重要な委員会であり、例えば小中学校の校長の辞令なども教育委員会の名の下に交付される。そんな重要な委員の任命を、簡単な資料1枚で判断してよいものであろうか。しかも議会に議案として上がってくる迄の選考過程が不明確であり、ブラックボックスになっている。今回はそんなことはなかったようだが、市長の友人関係で委員が決まってしまうようなことも多いと聞く。教育は多くの人が関心を持っているテーマであり、教育委員になってみたいと思う人は市内に大勢いるはずである。最終的に市長が選ぶにしても、公募などのオープンな方法をとることが望ましい。

 残念ながら総務常任委員会では、私が反対意見を述べただけでほかの委員は全員賛成であった。賛成する理由は「そんなに詳しい資料がなくても判断できる」「副市長や行政の職員が面談しているからその判断を尊重してもよい」などというものであった。教育委員会の重要性がよくわかっていないのではないか。

 教育委員会は戦後、米国の制度にならい、地方の教育のことは全て地方で決めるために創設された機関である。はじめは、地方議員の選挙と同時に教育委員も選挙で選ばれていたらしい。ところが昭和31年になって、国の教育に対する統制を強め、教育委員会の政治力を弱めるために、教育委員は、議会の同意を得て市長が任命することになった。それ以来、本来は、教育委員会の下にあるべき教育委員会事務局が、地方の教育のことでも何でも文部省のいうことを聞いて決めるようになり、教育委員会は一体何のために存在しているのか、わからなくなってしまったといわれる。私は教育委員に熱意と力量のある人材を得て、本来期待される役割を果たしていただくことが、教育改革への第一歩であると思っている。