市議会の議員定数について

 今、宝塚市議会では「議員定数調査特別委員会」を設置して、議員定数のあり方について検討を進めている。議員定数については宝塚市でも過去何度か削減が繰り返されてきたが、さらに削減すべきだという意見があり、賛否いずれの立場であるにせよ、議論することには意味があるので委員会が設置されたのである。議員定数を削減する目的は言わずもがな、もっと少数精鋭で仕事をせよ、議員報酬などのコストも削減せよ、ということであろう。

 他市の状況と比較するならば、宝塚市のように人口20万人以上であれば、議員定数は30人以上のところが多く、宝塚市の26人は、決して多すぎるということはない。この26人が、総務・文教・産業建設の3つの委員会に分かれて議論を行なうのであるが、各委員会が8~9人で構成されているのは、私自身は、議論するのに丁度議いい人数であると感じている。ちなみに議員定数がもっと多ければ、委員会も4つ設置しているところが多く、宝塚もかつてはそうであったらしい。

 議員定数の問題を考えるとき、議会が何のために存在するかということが前提となるであろう。それは、第一に行政をチェックすることであり、第二に市民の意見や要望を行政に反映させることである。行政をチェックするだけならば少数精鋭でもよいかもしれないが、様々な市民の意見や要望を行政に反映させることは、少数精鋭では不可能である。しかも少数であることは精鋭であることを意味しない。今より定数を削減すれば、毎度お馴染みのベテラン議員か組織票でガチガチの議員ばかりになってしまい、フレッシュで市政改革に有意義な意見など何も期待できなくなるのではないか。

 そもそも市民の間に「議員定数を削減すべきだ」という意見があるにしても、議会のことがどの程度理解されているかが問題である。その背後には、議員や議会そのものに対する対する不信感があるのではないか。「地方議会は不要」あるいは「地方議員は無給でやれ」というような極論と根っこは共通であると思う。そのような意見に従うとすれば、それは議会の自殺行為であり、地方自治の消滅を意味する。議員定数を削減するよりも、ひとりひとりの議員がしっかり働いた上で、議会のことを市民に正しく理解してもらえるように努力することが大切であると思う。

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