日本の小中学校教育

 私が前回のブログで並べた質問事項(9月29日の市議会で質問予定)は、日本中の公立小中学校の教育のあり方に、大それた改革を提案するかのようであるが、いずれも市単独で、あるいは学校単独で実行可能なことと思う。なぜなら、昔から学校で当然のように行われてきたことは、実はそのほとんどが、国の制度として決まっているわけではなく、単なる習慣もしくは、校長そのほかの先生に都合がいいから、そのように行なわれてきただけである。

 立場の異なる方々(教育委員会と教職員組合の両方)から見れば、私の考え方は、戦後日本の教育が一貫して進めてきた平等主義に反するものであり、抵抗は大きいと思う。しかし画一的な平等主義こそ、今日まであらゆる教育改革の妨げとなってきたものである。生徒の個性や能力の違いを認めようとしない画一的な平等主義のために、せっかくの学校が、生徒にとってストレスとムダが多いものとなってしまっている。今日の教育にもとめられているのは、多様な個性と自由を尊重する教育である。このような方向を目指す改革が、公教育の場において、公教育であるがゆえにできないとすれば、公教育そのものの民営化を目指すしかないと思う。

 私の個人的経験を言えば、私にとって公立の小中学校で学ぶ内容はあまりにやさしすぎたと思う。小学生のときは、教科書をもらったとき、こんなもの1日で読めると思っていた。夏休みの宿題でも、図画工作などは別にして、1日でできた。それなのに高校(公立)で、大学受験のための勉強を始めてみると、問題のあまりの難しさに驚愕した。しかも私立一貫校に進んだ連中は、はるか前方を走っている感じであり、公立と私立の格差を不公平であると感じていた。このような不公平(=不合理)を是非なくさなければならないと思っている。

NHK中学生日記