市長とは何か

市長とは市民の中で一番エライ人であろうか。市のことなら何でもできる人であろうか。文字の意味からすれば読んで字のごとくそうなるが、事実はそうではない。その権限は、あくまでも市役所という役所のする仕事に限定されるべきであるから、その名称も市長というよりも市役所長と言う方がふさわしいと思う。だとすれば市長は、普通の会社の社長と同じように、その組織の中で長く仕事の経験を積んできた職員の中から選ぶのが一番いいのではないか。市の行政に関わったことのない人ができる仕事ではないし(仕事のレベルにこだわらなければ誰にでもできるかもしれないが)、政治家が就任するなら、少なくとも県会議員や市会議員の経験者が就任するべきだと思う。

新しく宝塚市長に選出された山崎はるえ氏は、行政経験も政治経験もゼロの人である。現役の弁護士ということであるが、宝塚に事務所を開いて3年、弁護士になってからも未だ5年ということであり、宝塚の財政事情も全然理解されていないようである。そして何よりも疑問に感じるのは、山崎氏が立憲・社民・共産の統一候補として決まった不可解なプロセスである。われわれ議員ですら昨年末まで、市長選に誰が出るかは全然わからなかった。それが突然、山崎氏が出馬表明した途端に、立憲民主党などは党内で満足に議論することもなく、この人の支持を決めてしまったのである。

立憲民主党は、本来保守政党である(べき)と思う。党首の枝野氏を始め、幹部の野田佳彦氏、岡田克也氏などは私が尊敬する議員であって、保守本流といっても差し支えない人々である。支持基盤が弱い選挙区では、選挙対策として社民党や共産党と共闘を組むのもやむを得ないと思う。しかるに宝塚などは、在籍議員からして左翼政党そのものであり、いつも社民党や共産党との統一行動を余儀なくされるので、私は離党せざるを得なかった。いつも世話になっている近所の散髪屋さんに立憲民主党のイメージを尋ねねてみると「共産党とあんまり変わりまへんなあ」と言っていた。本当にそうなってしまわないことを願うばかりである。

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